2012年3月 東南アジア旅行 #2 タイ編
東南アジア周遊の2カ国目、ベトナムから向かった先は…と言うか、タイに戻ってきました。
せっかくですので、どこか遠くに足を伸ばそうと調べていたところ『タオ島 〜ジンベエザメに逢えるタイ有数のダイビングサイト〜』と。
聞き慣れない島ですが、ダイバーに人気の島のようで、ガチのダイバーにもノンダイバーにも過ごしやすそうな素朴な島のようでしたので、離島でのんびりと過ごそうと組み入れました。
記載内容は2012年3月時点のものです。ご旅行の際は最新の情報も合わせてご確認下さい。
目次
【タイ王国(ราชอาณาจักรไทย/Kingdom of Thailand)】
通貨はバーツ(บาทまたは฿と表記)で、記事中はバーツと記載します。 2012年3月現在のレートは1バーツが2.7円強ですので、日本円へは『3倍して1割引』くらいの換算で、40バーツ弱なら100円ちょっとですね。
2012年3月7日
お昼前頃にスワンナプーム国際空港(ท่าอากาศยานสุวรรณภูมิ/Suvarnabhumi International Airport)へと降り立った足でカオサン通り(ถนนข้าวสาร/Khaosan road)へと向かいます。
タオ島(เกาะเต่า/Ko Tao)行きは、カオサン通りにLOMPRAYAH社のオフィスがあり、1,100バーツ(約3,011円)でバスとフェリーのジョイントチケットの取り扱いがあります。
ただし、パンガン島(เกาะพะงัน/Ko Pha Ngan)のフルムーンパーティーの時期はフェリーの予約が困難で、ちょうど翌日の3月8日が満月と混雑が予想されたため、今回の旅が決定してすぐに妻に手配しに行っておいてもらったところ「さすがにこんなに早く予約しに来る人はまず居ない」と笑われたそうです。
カオサン通りからタオ島へ出発
バスは早朝便と夜行便の2本があり、私たちは今晩21時発の便になります。
まだ夕方で時間もあるので、LOMPRAYAH社のオフィスに荷物を預かってもらい(無料です)、カオサン周辺を徘徊しながら飲み食いマッサージで時間を潰します。
出発時間も近付き、LOMPRAYAH社のオフィスに戻ると、ほどなくしてバス乗り場へ移動するよう号令がかかります。
乗り場の説明を受けていませんでしたので、同じく号令を受けて立ち上がった欧米組に出口を譲った体でついて行く作戦をとりました(笑)
しばし歩き、実はたまたま立ち上がっただけの関係ない人達だったら詰むな…と不安になりかけた頃、この辺りに停車していたネオン照明のきらびやかなVIPバスが目に入りひと安心。
21時過ぎ、全員の乗車を確認後、バスは出発しました。
2012年3月8日
バスは一路、バンコク(กรุงเทพมหานคร/Bangkok)から南南東460kmのチュムポーン(ชุมพร/Chumphon)へ向けて走ります。
チュムポーンを経てタオ島へ
長いバス移動の前のビールとマッサージで体がほぐれたのか、泥のように眠りこけてしまい、気付けば翌朝5時頃にチュンポーンに到着していました。
夜が明け始めたフェリー乗り場で小一時間ほど待機して、南国の太陽が本気を出し始めようかという頃にフェリーに乗り込んだら、2時間弱ほどでタオ島に到着です。
タオ島のスキューバダイビングは格安
タオ島では気が向いたらスキューバダイビングとか交えつつゆっくりしようかと、ホテルは日本人スタッフで構成され、ファンダイブも機材レンタルも格安なダイブリゾートBuddha View Dive Resortを選びました。
大抵は数ダイブもするとウン万円が飛んで行きますが、1本あたり1,000バーツ(約2,737円)ほどで機材レンタル込みで潜れるというのは完全に価格破壊です。
国が違えば、ビーチでシュノーケリングセットどころかビーチベッドを借りるだけでもこれくらい取られたりしますよね…。
なお、ファンダイブだけではなく、PADIの認定講習などもやっており、その昔、地元のキンキンに冷えた殺風景な海に通った事を思うと、この温暖カラフルな海でキャッキャウフフと楽しく半額程度で取れてしまうというのは本当に羨ましい限り、渡航費まで含めても安上がりかも知れません。
そして、何より立地が素晴らしく、建物のすぐ横は海で持ち船が横付けされており、部屋から出てそのままダイブサイトへと直行というのはダイバーにはとても嬉しい環境です。
早速ですが、気が向いた時のため、事前にフロントでダイビングの申し込みについて話を聞いてみましょう。
地元のダイブショップの場合、まずはダイブサイト最寄りの港まで車で2時間ほど、そこからスポットへ船で数十分という感じで、車や船の手配の都合から『午前2ダイブ(その後は午後組が終わるまで待機)』か『午前2ダイブ+午後2ダイブ』かを2〜3日前までに予約しておく必要があります。
また、スキューバダイビングのあとは減圧症のリスクから半日〜1日はフライト厳禁と、後ろの日程にも余裕が必要ですので、気が向いてからでは予定にハマらないということもあり得ます。
ところがさすがは直結、こちらでは出発の数時間前にでも確認してもらえればOKで、午前のダイブのあと船も帰ってくるので午後のみとかも可能とのこと。
この旅の出発から早起き続きで、そろそろゆっくりしたいと思い、明日の午後2ダイブ+ナイトダイブ1本を予約しました。
2012年3月9日
今日はダイビング、荷物軽減策とは言え、やっぱり水中撮影機材は持って来るべきでした…。
タオ島のダイブスポット
透明度こそフィリピン海のそれには敵いませんが、流れやうねりも少なくて泳ぎやすく、ジンベイザメこそ無理でしたがサンゴも元気で魚影も濃く、ナイトダイブでは初めてバラクーダと夜光虫も見られ、文句なしの海でした。
タオ島の食事事情
私たちの滞在した島の南側エリアは屋台風のローカルフード店がぽつりぽつりある感じで、ブッダビューダイブリゾートから徒歩圏内のレストランらしいレストランはこちら。
タイ語メニューのみでしたので、写真を頼りにガーリックチャーハンとトムヤムクンをオーダーしたところ、さすがの本場テイストでした。
足の確保こそ必要ですが、南西側エリアの港周辺は繁華街になっていて、ピザやステーキなどの欧米系観光客向けの店も多く選択肢は広がります。
2012年3月10日
翌朝、南国らしい強い日差しの中、目が覚め…あれ…フラフラする…。
昨夜は南国とは言え、ナイトダイブ帰りは体が冷えるな…とは思っていましたが、ここまでの移動疲れもあってか、二人して完全に風邪を引いた上に完璧にこじらせたようです。
悪寒と倦怠感、体中のふしぶしが痛み、高熱で全く起き上がれません。
瞬きしているうちに眠りに落ちては、ふと目覚めると数時間が経過しているの繰り返しで終わりました。
2012年3月11日
まるまる寝込んで、そろそろ…あぁダメ…回復してない…。
起き上がれるようにはなりましたが、完全に不調です。
食欲は全くありませんが、体力回復のためにも少しでも食べておくべきでしょう。
ロングステイ中の他のダイバー達に伝染すと迷惑この上なし(耳抜きに支障をきたして潜れなくなります)なので、コソコソと人を避けつつ、前述のローカルレストランまでフラフラと向かいます。
メニューの写真はどれもこれもガチのタイ料理で冒険する気力もなく、実績があるガーリックチャーハンとトムヤムクンという健康時でも濃いメニューをリピートするのでした。
うぅ、箸が進まない…スプーンだけど…。
ところで、タイって犬とか猫(まれに人間)の足跡付きコンクリートが多いですよね。
足跡の大きさと言い、これはいわゆる『犯人は現場に戻る』ってヤツか…。
2012年3月12日
まだ完全には熱が引いておらず不調は不調ですが、明日には島を出ますので無理のない範囲で少し出歩きます。
ホテル近くでレンタルスクーターを借りますが、東南アジアなので運転免許証の確認などもなく、パスポートか現金をデポジットにすんなり借りられます。
ただ、何かあった時に面倒そうなので、念の為、そのまま国外運転免許証は携行しました。
フリーダムビーチ
最初に向かったのはブッダビューダイブリゾートからも徒歩圏内のフリーダムビーチです。
ビーチベッドやビーチクラブなどがある訳ではなく、人も少なく落ち着いたビーチです。
海は綺麗でゴロゴロした岩が魚礁っぽく小魚が群れており、シュノーケリングには最適ではありますが、水中視界の確保なしにズンズン進んで行くと岩につまづいたり、その岩陰にはガンガゼも居ますので注意が必要です。
ガンガゼというのはウニの一種で単に岩陰に転がっているだけなのですが、その毒を帯びた棘は細く長く鋭く、表面には細かな返しがついており、しかも折れやすく皮膚内の奥深くに残りやすい、とても厄介な性質を持っていますので、踏んだり触ったりすると文字通り『痛い目にあう』ことになります。
展望台
続いて、帰りに備えて距離感を知っておこうと港まで走り、そのままの流れで道なりに北へ向かっていると『VIEW POINT』的な案内表示の脇道を見つけたので、そちらへ向かってみました。
ぐんぐん登って行くと途中から砂利道になり、パンクに気をつけつつコケない程度のスピードで慎重に進むと、ナンユアン島(เกาะนางยวน/Ko Nang Yuan)を見下ろす展望台がありました。
2012年3月13日
行きとは逆の流れでカオサン通りに戻ります。
行きは夜でネオン照明バッキバキだったのに、昼間に見ると全く地味なんですね(笑)
今回の旅程中で最もゆとりを持って一週間を充てていたあてていたタオ島、確かにのんびり過ごしました…まるまる二日間は寝込んでましたし…。
完全に消化不良なので、ここもいつか再び訪れようと後ろ髪を引かれながらバンコクに戻るのでした。